表現を直すということ

ぼくも広告屋として長いこと生きてきて、いい加減キャリアの晩年を迎えているわけですけれど、まだまだ修行が足りぬな、と思うことは数多くあります。
業界の内外で通用する常識が微妙に違うのだ、ということなどはその一つ。「クライアントの思いを代弁せよ」とか「ユーザーの気持ちに添え」とか毎回言いながら、広告屋の外の世界の人々に意表を突くような指摘をされ、そのたびにおろおろとうろたえております。

先日のセミナーに参加してくれた○クチーの○岡さんから投げかけられた質問も、答えに詰まる事柄でした。
パ○チーの福○さんは、千葉経済新聞の記者でもあります。原稿の作成やチェックのやり取りを日常的に重ねるなかで、膨らんできた疑問だったのでしょう。質問は、このような内容でした。
「表現が趣旨を捉えきれていなかったり、もうひと工夫する余地があると感じたりする場合、直しの指示をひと言で伝える言い方はないのか。たとえばシステム関係やアルゴリズム実装なんかでは『最適化して』と言えば、言ったほうも言われたほうも同じ修正イメージを共有できるのだが、文章作成の世界ではそういうひと言はないのか」

パクチ○の福岡○んにはセミナー中でもお答えしたんですが、ないんですわこれが。
ぼくらライターに届く直しの指示は、
「ここ再考して」
「もうちょっと別の表現ないかな」
みたいな抽象的な言い方である場合がほとんど。該当の部分に下線が引かれ「?」と記号が記してあるだけ、ということもよくあります。
そのような、手掛かりのまったくないところから相手の意図を汲み取りつつ、修正していくわけです。

逆に、相手が具体的な要求を持っている場合は、「これとこれについて、こういう言い方で」という明確な赤字を入れてくれますので、ぼくらはその通り直せばいい。

こういった修正作業について、ぼくらは「より相手の考えに寄せていく」という意識はあるかもしれませんが、「最適化している」という感覚ではないですね。

それはたぶん、言葉表現って、答えが一つではないからでしょう。
「ここのキャッチはこれしかないよね」「ほかに言いようがない」という認識で制作を進めていくことはよくありますが、それだって、最大公約数的な意味で言っていたり、先方さんに文句を言われる可能性が少ないという意味だったりです。決して「ただ一つの答えです」とは思っていません。

正解がないから難しいのか。
正解がないから遊べるのか。
どっちもなんでしょうけれど、言葉と向き合うとき、正解がないことに恐れないでほしいとは思います。
「どう言ったらいいのだろう」というのが多くの方の悩みかと思いますが、極端な話、どう言ったっていいんです。
ただ、書いているあなた自身が「良い」と思えるかどうか。これが前提です。
良いと思ったら、そう書いてみる。で、他人に見せて意見を貰う。「これいいね」と言われたら万々歳だし、「ナンか変じゃない?」と首を捻られたら、「よしわかった。これならどうだ」ともう一回考えて書き直す。
がっかりしたり落ち込んだりするのは損ですよ。「ナンか変じゃない?」というのはその人がそう思っているだけですから。単に相手が依頼主だったりして立場的に上なので、意見には従いますっていう関係上、直さなきゃならないだけでしょ。
よほど自信があるときは、なぜ自分はこう書いたか説明してみることも大事です。その説明に納得すれば、直してくれと言っていた相手が、「そういうことなら」と意見を引っ込めるケースだって、けっこうありますし。